ウルトラ山田とは、日曜連続爆弾魔事件や神戸大丸デパート爆破事件において自称として名乗った謎の人物です。彼の正体や素性は未だに特定されていません。
この記事では、
・ウルトラ山田の正体は中学生
・日曜連続爆弾魔事件と神戸大丸デパート爆破事件の真相
について解説します。
「ウルトラ山田」の正体は?
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— 妄人注意 (@zaso55) September 21, 2016
「ウルトラ山田」という名前は、日曜連続爆弾魔事件や神戸大丸デパート爆破事件において、犯人が自らを称した名前です。これらの事件において彼がどのような人物であったのか、その素性や身元については現在でも特定されていないため、謎に包まれています。
彼が「ウルトラ山田」と名乗った理由やその背後にある意図についても明確な情報はありません。この名前は、彼自身が爆発事件の犯行を名乗る際に選んだものであり、その意味や由来についても不明です。
また、彼が事件以降にどのような行動をとり、人生を過ごしてきたのかについても公には知られていません。
ウルトラ山田の謎は、事件当時の捜査当局や関係者、そして世間の間で継続的に議論され続けています。彼の正体や動機を解明することは、事件の真相を明らかにする重要な一歩となるでしょう。しかし、現在までには十分な証拠や情報が見つかっておらず、彼の謎めいた姿は依然として未解決のままです。
日曜連続爆弾魔事件のあらまし
「日曜連続爆弾魔事件」とは、1974年に日本で発生した一連の爆発事件のことです。以下に事件の概要をまとめます。
1974年2月18日深夜、大阪市天王寺区の近鉄上本町駅のコインロッカー付近で爆発事件が発生しました。
この事件では、幸いなことに怪我人はなく、現場には犯人からの脅迫状が残されました。脅迫状には近鉄に五千万円の現金を要求する内容が書かれており、さらに犯人は脅迫電話もかけてきました。
その後、新たな脅迫状が届けられ、具体的には現金の運搬者や車種、運転者が指定されました。警察は現金の受け渡し時を犯人を確保する機会と捉え、迅速に行動を起こしました。
結果として、1974年3月13日に現金を受け取りに来た千葉という男性(当時44歳)とその弟(当時31歳)が逮捕されました。
当初、事件は解決したと思われましたが、驚くべきことに、3月17日には近鉄百貨店阿倍野店の7階で新たな爆発が発生しました。この爆発は幸いにも被害はありませんでしたが、現場には千葉兄弟の釈放を求める脅迫状が残され、犯人は「ウルトラ山田」と名乗っていました。
その後も連続して日曜日に爆発事件が発生し、これらの事件は「日曜連続爆弾魔事件」として広く知られるようになりました。犯人は近鉄に金銭を要求することはせず、千葉兄弟の釈放を求めるだけでした。
警察は犯人の特定に苦慮しましたが、断続的な捜査と市民の協力により事件解決の手がかりを探し続けました。事件発生から約6ヶ月後、捜査本部の刑事が事件現場の写真を見て、ひとりの少年が気になりました。写真には少年が爆発物に興味を持ちながら写っており、別の現場でも同じ少年が確認されました。
しかし、彼が中学生であることから、警察はただちに事情を聴くことはできませんでした。彼を参考人として調書に指紋を押させた結果、天王寺駅トイレの爆発物に残された指紋と一致したため、彼は容疑者として逮捕されました。当時13歳の中学2年生である彼は、爆弾に対する異常な興味を持っていたことが明らかになりました。
捜査は徹底的に行われ、容疑者の家宅捜索では爆発物の製造に使用される材料や手順が発見されました。彼が事件の実行者であることはほぼ確定的となり、証拠も重ねられました。
日曜連続爆弾魔事件は、この中学生の少年の逮捕によって解決しました。警察と市民の協力により、市内の安全が取り戻されました。
ウルトラ山田の現在は?犯人・少年の生い立ちやその後に迫る!【日曜連続爆弾魔事件】
ウルトラ山田と神戸大丸デパート爆破事件の関係は?
「日曜連続爆弾魔事件」の犯人は「ウルトラ山田」という名前を使ったのでしょうか?
実は、この事件より7年前に起きた爆破事件の犯人が「ウルトラ山田」だったのです。その爆破事件は、「神戸大丸デパート爆破事件」といいます。
神戸大丸デパート爆破事件とは?
1967年1月に兵庫県神戸市の大丸神戸店のトイレで発生した爆破事件です。
事件は、不特定の犯人がトイレの個室に爆弾を設置し、その後に立ち去ったことによって引き起こされました。現場には「ウルトラ山田」という脅迫状が残されました。
事件が発生する際には、清掃員がトイレに入っていたため、幸いなことに多くの死傷者は出ませんでしたが、店内にはパニックが広がりました。
この事件では、犯人は特定されず、未解決事件となりました。捜査当局は犯人の特定や真相究明に向けて努力しましたが、事件の詳細な動機や背後にいる人物については明らかになっていません。未解決事件として、その謎は残されたままとなっています。
神戸大丸デパート爆破事件が発生したのは、遡ること1967年という事実から推察すると、日曜連続爆弾魔事件の中学生犯人(当時13歳)は、その時点ではまだ6歳だったことになります。
明らかに、6歳の幼い子供が爆破事件を引き起こすことは現実的ではありません。したがって、「神戸大丸デパート爆破事件」と「日曜連続爆弾魔事件」に関わるウルトラ山田は、異なる人物であることが明確となります。
おそらく、爆発に興味を持った少年が、一種の模倣行為として「ウルトラ山田」という名前を使ったのかもしれません。
まとめ
少年の家庭環境は、母子家庭で母親と祖母との3人暮らしでした。事件当時、大阪市堺市に住んでおり、少年は小学6年生頃から学校に通わなくなり、中学生になる頃には不登校状態になっていました。
このような背景が彼の心理状態や行動に影響を与えた可能性が考えられます。
驚くことに、脅迫状の代筆は少年の母親が行っていたとされています。つまり、彼の犯行に母親が関与していた可能性が浮上しています。母親も何らかの罪に問われたのかもしれませんが、具体的な情報は明らかにされていません。
事件当時の少年は13歳という若さであり、そのため顔写真や実名は公開されませんでした。また、彼の犯行の動機も明らかにされていません。なぜ彼が爆発事件を引き起こしたのか、その背後にある心理や動機は謎のままです。
現在、事件からは47年の歳月が経過しています。したがって、ウルトラ山田として知られる少年は現在では約60歳の年齢になるでしょう。彼のその後の人生や現在の状況に関する情報は公には知られておらず、彼の行方や再犯の有無なども不明です。
ウルトラ山田の現在は?犯人・少年の生い立ちやその後に迫る!【日曜連続爆弾魔事件】